〈1面写真〉引退の日の朝、横浜の訓練センターへ向かう途中の西武・所沢駅ホームでベイスと門川さん=10月14日、宮崎由美さん撮影
〈2面上写真〉引退手続きの後、訓練センターの玄関で最後の記念撮影。ベイスはお迎えの車に乗って、富士ハーネスへ向かいました。「ベイスはパピーウォーカーをしてくれた人のところへ行くので、育ててくれた家族のところへもどっていく感じです。よかったなと思っています」と門川さん
〈2面下写真〉引退の前々日、ピザ屋さんでの会食で。皆が食べている間、ベイスは門川さんの足元で、ずっとおとなしく待機していた=10月12日、東京都世田谷区
〈3面写真〉新しいパートナー「アーチ」との歩行訓練の様子(日本盲導犬協会神奈川訓練センター提供)
■ベイスとの思い出、そして新パートナーとのスタート 門川 紳一郎
2021年3月、縁あって、私は妻とあいぼうのベイスと共に、大阪から東京へ転居しました。ベイスは私にとって初めての盲導犬で、イエローラブの雄です。ベイスとの共同訓練や生活の様子については、2016年5・6月号の「お好み書き」紙上で紹介して頂きました。また、テレビやラジオでも取り上げていただきましたから、ご覧になられた読者もおられるのではないでしょうか。 あれから早8年、2024年4月でベイスは10歳になりました。大型犬の10歳は人間の74歳だそうですから、そんなに高齢になるまで働いてくれていたのか(いや、働かされていたが正しいでしょうか)と思うと、かわいそうなことをしたんだなぁと思うと同時に、感謝の気持ちでいっぱいになります。
○人間の74歳、お疲れ様!
ベイスは私の良きパートナーとして、前半の6年を大阪で、後半の4年を東京で、多方面で活躍してくれました。そして、10歳になったベイスは、盲導犬を引退することになり、10月14日に日本盲導犬協会(日盲)神奈川訓練センター(横浜)で引退に向けての手続きが執り行われ、ついにハッピー・リタイヤとなりました。ベイス、本当にお疲れ様でした! ベイスとの8年間を振り返ってみると、実にいろんな経験や発見がありました。私の50代はベイスと共にはじまり、ベイスの引退で終わっていく、ベイスと歩んだ50代でした。良かったこと、記念すべきことばかりでなく、つらくかなしく、途方にくれて過ごしたことなど、いろんな思い出が詰まった人生でした。
○訓練士と妻、私の非解決
盲導犬としてデビューして間もないころ、ベイスはさっそく、ぐれてしまいました。言うことを聞かなくなったのです。ハーネスに首を通してくれなかったり、歩いてくれなかったり…。こんなことが起こる度に、日盲の担当訓練士にヘルプを求め、その都度いろいろなアドバイスをして頂きました。アドバイスで解決できなかった時は、訓練士が横浜から大阪まで遠路はるばる出てきてくださったのには今でも頭が下がる思いです。コロナ騒ぎのまっただ中にあった時も、横浜と大阪をスマホのLineでつなぎ、ベイス歩行の様子をビデオで撮影し、動画を見て訓練士からアドバイスを受けるという方法も試されました。妻の協力があったからこそできた方法でした。ベイスでの困りごとは、このようにして解決していくことができました。 ベイスが拒否行動をしたり、歩かなくなったりしたのは、ベイスに問題があったのではなく、盲導犬歩行が初めてで、犬の扱いに不慣れだった私に非があったと、今では思っています。後で知ったことですが、ベイスはとても「繊細」な性格の子だったのです。だから、例えば、無意識のうちにベイスの足をふんでしまったり、リュックを背負う拍子にぶつけてしまったり、コンビニ袋をベイスの顔にあててしまったり、とにかくベイスにとって「不快」なことがたくさんあったのだと思います。その積み重ねから、ベイスは外出したくなくなったのでしょう。
○”二人”焼き鳥屋、心癒やす
良かったこと、楽しかったことももちろんたくさんありました。例えば、ベイスのおかげで見つけることができた「心のオアシス」と呼べる居場所がありました。それは、ベイスと2人きりで入った焼き鳥屋で、そこで過ごすくつろぎの時間は、心を癒やしてくれました。大好きなビールやハイボールを片手に、焼き鳥をほおばり、スマホでネットニュースを読んで過ごす一時は、私にとっては、「新しい生活スタイル」の発見でもあったと思います。 私が職場での人間関係で悩み、体調不良で動けなくなったことがあった時も、ベイスがそばにいてくれました。ベイスに触れると、「ああ、自分は一人じゃないんだ。一人だけの人生でもないんだ」と自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えることができました。 コロナや父の死を乗り越えて、20年以上働いた職場を退職、東京へ転居してからも、ベイスの活躍で新生活にもすぐに慣れることができました。ベイスは環境への順応能力が高いからこそ、すぐに新しい環境になじむことができたと思います。
○聴導犬にもなれるよ!
ベイスにはもう一つ特技と呼べるものがあります。それは、私が全く聞こえないということを理解していたからでしょうか、電車やバスが近づいてきたら立ち上がってしっぽをふり、下車駅のアナウンスに反応して立ち上がり教えてくれることでした。こうしたベイスの動きは私にとってはとても便利で、いつも頼りにしていました。まるで、「ぼくは聴導犬にもなれるんだ!」と言っているようでした。 10歳のベイスは、高齢とは思えないほど、とても元気で、これで引退しちゃっていいのかなと思うくらいぴんぴんしていました。しかし、盲導犬協会の規則上、盲導犬は10歳で引退させなければならないようです。8年も共に暮らし、歩んできたパートナーと別れるのは、寂しいものです。
○新相棒アーチ、経験糧に
しかし、私は寂しさにひたっている余裕はありませんでした。ベイスと別れた日の午後、次のパートナーとなる黒ラブの雄が、訓練士につれられてやってきました。 名前はアーチ。名前の由来は、弓型の門。そこから架け橋の気持ちを込めて、様々な人たちをつなぐ子になってほしいという、思いをこめて名付けたそうです。 アーチに対する私の第一印象は、「なんてやんちゃな子なんだ。いや、でも、めっちゃ明るい」。ベイスも明るいところはありましたが、アーチは「陽気」で、パワーあふれています。こっちまで楽しくなりそうです。いや、もしかしたらこっちのエネルギーをもっていかれてしまうのかもしれません。そんな訳で、ベイスとの別れの寂しい気持ちをしばし忘れていました。 10月14日の午後からスタートしたアーチとの共同訓練は、10月28日で無事に終了することができ、2代目パートナーとの新生活がはじまりました。 これから、アーチが10歳で引退するまで、お互い一体となって歩んで行きます。アーチとの生活は、ベイスとの様々な経験の上に成り立つものと思っています。つまり、ベイスあってのアーチ。アーチと共に、読者の皆様にお目にかかれるのを楽しみにしています。
〈2面上写真〉引退手続きの後、訓練センターの玄関で最後の記念撮影。ベイスはお迎えの車に乗って、富士ハーネスへ向かいました。「ベイスはパピーウォーカーをしてくれた人のところへ行くので、育ててくれた家族のところへもどっていく感じです。よかったなと思っています」と門川さん
〈2面下写真〉引退の前々日、ピザ屋さんでの会食で。皆が食べている間、ベイスは門川さんの足元で、ずっとおとなしく待機していた=10月12日、東京都世田谷区
〈3面写真〉新しいパートナー「アーチ」との歩行訓練の様子(日本盲導犬協会神奈川訓練センター提供)
■ベイスとの思い出、そして新パートナーとのスタート 門川 紳一郎
2021年3月、縁あって、私は妻とあいぼうのベイスと共に、大阪から東京へ転居しました。ベイスは私にとって初めての盲導犬で、イエローラブの雄です。ベイスとの共同訓練や生活の様子については、2016年5・6月号の「お好み書き」紙上で紹介して頂きました。また、テレビやラジオでも取り上げていただきましたから、ご覧になられた読者もおられるのではないでしょうか。 あれから早8年、2024年4月でベイスは10歳になりました。大型犬の10歳は人間の74歳だそうですから、そんなに高齢になるまで働いてくれていたのか(いや、働かされていたが正しいでしょうか)と思うと、かわいそうなことをしたんだなぁと思うと同時に、感謝の気持ちでいっぱいになります。
○人間の74歳、お疲れ様!
ベイスは私の良きパートナーとして、前半の6年を大阪で、後半の4年を東京で、多方面で活躍してくれました。そして、10歳になったベイスは、盲導犬を引退することになり、10月14日に日本盲導犬協会(日盲)神奈川訓練センター(横浜)で引退に向けての手続きが執り行われ、ついにハッピー・リタイヤとなりました。ベイス、本当にお疲れ様でした! ベイスとの8年間を振り返ってみると、実にいろんな経験や発見がありました。私の50代はベイスと共にはじまり、ベイスの引退で終わっていく、ベイスと歩んだ50代でした。良かったこと、記念すべきことばかりでなく、つらくかなしく、途方にくれて過ごしたことなど、いろんな思い出が詰まった人生でした。
○訓練士と妻、私の非解決
盲導犬としてデビューして間もないころ、ベイスはさっそく、ぐれてしまいました。言うことを聞かなくなったのです。ハーネスに首を通してくれなかったり、歩いてくれなかったり…。こんなことが起こる度に、日盲の担当訓練士にヘルプを求め、その都度いろいろなアドバイスをして頂きました。アドバイスで解決できなかった時は、訓練士が横浜から大阪まで遠路はるばる出てきてくださったのには今でも頭が下がる思いです。コロナ騒ぎのまっただ中にあった時も、横浜と大阪をスマホのLineでつなぎ、ベイス歩行の様子をビデオで撮影し、動画を見て訓練士からアドバイスを受けるという方法も試されました。妻の協力があったからこそできた方法でした。ベイスでの困りごとは、このようにして解決していくことができました。 ベイスが拒否行動をしたり、歩かなくなったりしたのは、ベイスに問題があったのではなく、盲導犬歩行が初めてで、犬の扱いに不慣れだった私に非があったと、今では思っています。後で知ったことですが、ベイスはとても「繊細」な性格の子だったのです。だから、例えば、無意識のうちにベイスの足をふんでしまったり、リュックを背負う拍子にぶつけてしまったり、コンビニ袋をベイスの顔にあててしまったり、とにかくベイスにとって「不快」なことがたくさんあったのだと思います。その積み重ねから、ベイスは外出したくなくなったのでしょう。
○”二人”焼き鳥屋、心癒やす
良かったこと、楽しかったことももちろんたくさんありました。例えば、ベイスのおかげで見つけることができた「心のオアシス」と呼べる居場所がありました。それは、ベイスと2人きりで入った焼き鳥屋で、そこで過ごすくつろぎの時間は、心を癒やしてくれました。大好きなビールやハイボールを片手に、焼き鳥をほおばり、スマホでネットニュースを読んで過ごす一時は、私にとっては、「新しい生活スタイル」の発見でもあったと思います。 私が職場での人間関係で悩み、体調不良で動けなくなったことがあった時も、ベイスがそばにいてくれました。ベイスに触れると、「ああ、自分は一人じゃないんだ。一人だけの人生でもないんだ」と自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えることができました。 コロナや父の死を乗り越えて、20年以上働いた職場を退職、東京へ転居してからも、ベイスの活躍で新生活にもすぐに慣れることができました。ベイスは環境への順応能力が高いからこそ、すぐに新しい環境になじむことができたと思います。
○聴導犬にもなれるよ!
ベイスにはもう一つ特技と呼べるものがあります。それは、私が全く聞こえないということを理解していたからでしょうか、電車やバスが近づいてきたら立ち上がってしっぽをふり、下車駅のアナウンスに反応して立ち上がり教えてくれることでした。こうしたベイスの動きは私にとってはとても便利で、いつも頼りにしていました。まるで、「ぼくは聴導犬にもなれるんだ!」と言っているようでした。 10歳のベイスは、高齢とは思えないほど、とても元気で、これで引退しちゃっていいのかなと思うくらいぴんぴんしていました。しかし、盲導犬協会の規則上、盲導犬は10歳で引退させなければならないようです。8年も共に暮らし、歩んできたパートナーと別れるのは、寂しいものです。
○新相棒アーチ、経験糧に
しかし、私は寂しさにひたっている余裕はありませんでした。ベイスと別れた日の午後、次のパートナーとなる黒ラブの雄が、訓練士につれられてやってきました。 名前はアーチ。名前の由来は、弓型の門。そこから架け橋の気持ちを込めて、様々な人たちをつなぐ子になってほしいという、思いをこめて名付けたそうです。 アーチに対する私の第一印象は、「なんてやんちゃな子なんだ。いや、でも、めっちゃ明るい」。ベイスも明るいところはありましたが、アーチは「陽気」で、パワーあふれています。こっちまで楽しくなりそうです。いや、もしかしたらこっちのエネルギーをもっていかれてしまうのかもしれません。そんな訳で、ベイスとの別れの寂しい気持ちをしばし忘れていました。 10月14日の午後からスタートしたアーチとの共同訓練は、10月28日で無事に終了することができ、2代目パートナーとの新生活がはじまりました。 これから、アーチが10歳で引退するまで、お互い一体となって歩んで行きます。アーチとの生活は、ベイスとの様々な経験の上に成り立つものと思っています。つまり、ベイスあってのアーチ。アーチと共に、読者の皆様にお目にかかれるのを楽しみにしています。