デフリンピック東京2025

東京2025デフリンピック | TOKYO 2025 DEAFLYMPICS
東京2025デフリンピック 大会サイトは、一般財団法人全日本ろうあ連盟デフリンピック運営委員会及び公益財団法人東京都スポ...

デフリンピック

 今、東京では「デフ」の花が咲き誇っている。11月15日から12日間の日程で、東京2025デフリンピックが駒沢陸上競技場等複数の会場で開催されている。
正式な大会名は、「第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025」と言い、世界70~80か国約6000人が東京へ集結、競技で汗を流し、友情を深めているのだ。25回夏季大会とは言え、デフリンピックの歴史は長く、古い。少なくともパラリンピックよりは先輩になる。「聞こえない・聞こえにくい人のためのオリンピック」であるデフリンピックは、1924年にパリで初めて開催された。それ以降、4年ごとに各国持ち回りで開催されている。今回の東京大会は通算で100回目で、日本開催は記念すべき初開催となった。

デフリンピックが「聞こえない・聞こえにくい人のオリンピック」であるのに対し、パラリンピックはデフを除くその他の身体、知的障害者の国際スポーツ大会だ。パラリンピックは、一般の五輪国際オリンピックの閉幕後に、オリンピックと同じ会場で開かれる。

出場するには デフリンピックに出場できる選手の資格要件

デフリンピックに出場できる選手の資格要件として、「補聴器を装用していない状態で聴力が55デシベル以上であり、国際大会出場資格がある」こととされている。なお、デシベル(dB)は音の大きさを表し、数字が大きいほど音が大きい。
55デシベルは普通の声での会話が聞こえない程度の聴力だ。
 デフリンピックでは、主に視覚的情報保障を徹底していて、例えば、競技スタートの合図として、光のフラッシュ、旗ふりなどが使われる。一方、パラリンピックの視覚障害者による競技等では、ピストルや笛などの音による合図で競技をスタートする。情報保障のあり方一つとっても、デフスポーツとそれ以外ではこのように大きく違っているのだ。

パラリンピックとの違い

ところで、デフはなぜパラリンピックに参加しないのだろうか?それには、おそらく「聞こえない人が聞こえる人と同じ土俵で競技をするには、情報保障の面で不利がある」ということなのだろう。
例えば、速さを競う陸上の競走競技や水泳の競泳の場合、スタートの合図のタイミングを掴むことがきわめて重要だ。デフの場合スタートの合図のピストル音や笛の音が選手に届かなかったり伝わるまでにタイムラグが生じてしまい、聞こえる人と平等に競技に参加ができない。その点デフリンピックでは、合図をはじめとする「情報保障」が「視覚的情報提供」として丁寧に実施されている。さらに、国際手話(ISL)ボランティアによって、大会会場や周辺の情報が提供されている。ここならデフはのびのびと競技に参加できるということなのだろう。

デフボウリング

先日、友人の誘いでデフボウリングを観戦する機会があった。デフボウリングには競技を行う上でどんな配慮がなされているのか、また一般のボウリングと何が違うのかを知る良い機会だった。
しかし、デフのボウリングには競技を行う上でのバリアは特に見当たらなかった。スタートを競うのでもないから自分のタイミングで投げ、スコアの確認は倒れたピンの数やスコアボードに表示される結果を見ればよい。一般のボウリング大会と何も違いはないようだった。
 では、なぜわざわざデフボウリングなのか?競技目的なら、一般の大会で競う方がずっとハイレベルの競技ができるはずだ。今回のデフボウリングの観戦から学んだことは、デフ同士が国を超えてお互いに競い合う中で、友好関係を築きデフとしての自覚を高め合うことが、デフスポーツの意義なんだなということだった。

スポーツをする意義

 スポーツは相手と競い合い、相手を蹴落とすことが目的ではない。むしろ、競技を行うことを通して、選手間の友好関係や友情を深め、お互いが切磋琢磨し、ひいてはデフの未来へ平和へとつながる。これこそが国際スポーツの醍醐味ではないか。

デフブラとスポーツ

 ところで、デフと呼ばれる人たちの中には、デフブラ、つまりろうベースの盲ろう者が多くいる。そんな彼ら、彼女らもデフスポーツに参加したいと思っているだろう。しかし、デフブラがデフスポーツで競い合うためには、スタートの合図等にもう1段工夫が必要だ。選手にサポーターがついて、選手の体に触れることで合図を伝える方法が一般的だ。ピストル音と同時に選手の肩をたたく。


 将来はデフの仲間でもあるろうベースのデフブラが、デフスポーツに参加できるようにしてほしい。そして、デフアスリートも国際パラリンピックの舞台に帰って来てほしい。そうすることで、デフの存在を他の障害者や関係者にも知ってほしいからだ。
 スポーツは競い合うためだけのものではない。むしろ、スポーツを通して得られるかけがえのない国際友情こそが、国際スポーツが目指しているものなんだと、私は考える。 

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